皆さん、突然ですがまりもっこりシリーズを、ご存知でしょうか。私は数年前に友達が鞄に付けている物を見たのが始めてでしたが、それを見た時はかなり大きな衝撃を受けたことを覚えています。知らない方のためになんと説明したら良いかと思い、ウィキペディアを開いてまた衝撃を受けました。「まりもっこりは、日本北海道生まれのマスコットキャラクターである。「まりも」に「もっこり(勃起)」をひっかけたキャラクターで、「もっこり」という名の通り、股間のふくらみが特徴である。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%93%E3%82%8A)」だそうです。やはり……! 一応、私風に説明しますと、まりもでできているご当地キャラクターです。その容姿はまるで3つのまりもがくっついたような形をしています。一つ目は顔、二つ目は体、そして三つ目は小さなまりもを股間につけて、これで完成です。「もっこり」は名前だけでなく、実際にもっこりしているのが特徴のゆるキャラです。友達が鞄に付けていたぬいぐるみストラップは、股間が引っ張れるようになっていて、伸ばしてから手を離すとブルブルと震えながら股間のまりも(仮)がもとの位置に戻るというものでした。その動きもかなり衝撃的でした。もともとは北海道のラジオ番組がきっかけで、人気に火がついたキャラクターだそうです。そんなキャラクターがついに、北海道の人気者クラーク博士とのコラボを果たしたのです!クラーク博士は羊ケ丘展望台の全身像と同じく右手を挙げたポージングを取っています。そして可愛いピンクのスーツに、欠かせないもっこり……。まりもっこりとコラボしたのが男性で良かったような、悪かったような……。このマスコットはストラップになっています。携帯でも鞄でもどこにでも付けられますが、個人的にはどこに付けるかすごく悩みそうです。クラーク博士に扮したまりもっこりの足元には、「少年よたいしたもんだ」とあの有名な台詞のパロディが書かれていました……。ここまで破壊力があると、もう何でもありのような気がしてきます……。とにかくパンチの効いたお土産としておすすめします!でもこんな姿を見ると、なんだかクラーク博士も急に身近な、手の届く人になったような気がして、良いですね。親しみを持っているからこそ、ここまでいじれるんだなと思いました。博士なのにマスコットキャラクターにされてる人なんて、そうそういないですもんね。きっと母国のアメリカにだってこんなストラップは売ってないんじゃないかと思います。それだけ日本でも愛されている人なんだということがわかりますね。
Author: willsmclarkad
北海道の名所として人気上位の札幌時計台も、クラーク博士と関わりがありました。この場所は旧札幌農学校演武場だったのです。そこで時計台建物は初代教頭クラーク博士が構想し、2代目教頭ウィリアムホイラーが基本プランを作成、開拓使建築技術者の安達喜幸が設計・監督したものだそうです。時計台は開拓期のアメリカ中・西部で流行ったバルーンフレームと呼ばれる木造建築様式を取り入れて建築されているそうです。美しいデザインの時計塔は、国内最古の時計塔として、129年以上もの時を刻み、鐘を鳴らし続けています。この鐘は広く響き、市民に安らぎを与えてくれます。私のおばあさんもそのまたおばあさんも、この鐘の音を聞いて暮らしていたのかと思うと、不思議な感覚がします。これは観光客だけでなく市民からも愛される時計塔で、遠回りしてでもその姿は一見の価値があります!時計台は重要文化財にも指定されています。館内では、鐘を鳴らす様子など時計の動く仕組みを大型画面で見るこができるほか、時計台と同型の時計機械が展示されています。また、パソコン検索、パネル写真、図書コーナーなどもあり、市内及び道内の文化財についても調べることができます。 札幌市中央区北1条西2丁目にあって、営業時間は通常8:45~17:10(入館は17:00まで)です。休館日は第4月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日)/年末年始休館(12月29日~1月3日)です。必要な料金は大人200円、団体(20人以上)180円、小・中学生無料です。地下鉄全線「大通駅」で下車した後、歩くこと約5分で到着します。札幌駅南口からなら徒歩で約10分ほどの距離です。問い合わせは札幌市時計台(電話011-231-0838)です。
一つ前の記事でも軽くふれましたが、北海道大学のキャンパス内にはクラーク博士の胸像があります。 北海道大学は旧札幌農学校であり、クラーク博士とは大変馴染みの深い場所となっています。そのためもあって、通常の講義や研究が行われている大学にも関わらず観光客が増えすぎて問題になったので、観光バスの進入禁止が決められました。 今では羊ケ丘展望台にある全身像も注目を集めておりますが、それでも昔ながらの定番のクラーク博士の姿も依然として人気があります。 北海道大学は北海道札幌市北区北8条西5にあります。大学というだけあって駅からは近く、JR札幌駅北口から正門まで徒歩7分で着くことができます。車の場合は札樽道札幌北ICから国道5号を15分ほど走ると辿り着くことができます。ただし、駐車場はなく、車での進入はできませんのでご注意下さい。車は入れませんが、タクシーでしたら大丈夫です。大学構内は驚くほどに広く全てを歩くのは困難です。旧帝大の強みでしょうか、北海道大学は道内でも類を見ないほど広大な敷地を持っています。ですから見学にはタクシーかレンタル自転車があると便利です。 というのも、ここ北海道大学は北海道の観光名所として知られており、クラーク博士胸像の他にも、ポプラ並木が有名です。また重要文化財に指定された札幌農学校第二農場(モデルバーン)や、登録有形文化財に指定された古河記念講堂などの歴史的建造物やお土産屋さんもあるため、せっかく訪れるのならいろいろと回ってみることをおすすめしたいのです。ですから、徒歩ではなく、なにかしらの対策を取るとスムーズですよ。北海道大学正門近くの事務所では、大学構内の地図をもらうことができます。それほど広いのです。
大学は見学自由なので料金は特にかかりません。問い合わせ先は北海道大学(TEL:011-716-2111)です。構内に入ると大学の真ん中を南北に走る中央道路があります。その道沿いの南の方の一角にクラーク像があります。少しわかりにくいので、迷ったら学生に聞いてしまうのも手だと思います。たいがい、優しく教えてくれますよ。クラーク像は胸から上の銅像です。英語で「Boys, be ambitious」という台詞も添えられています。そのクラーク博士像から中央道路を北に向かって少し歩き、途中西側に曲がり数百メートル歩くと右手にポプラ並木が見えてきます。並木は大学のキャンパスの建物群と大学農場の南北の境界線にあるような感じで、ポプラ並木の西側に大学の農場が広がっています。ポプラ並木は、以前の台風被害で半数近く倒壊してしまいましたが、新たに若いポプラが植えられたためその部分だけは背の低いポプラが頑張って生長をしているところです。 以前はポプラ並木を散策することもできましたが、台風被害やポプラの老木化による倒壊の恐れがあるため、現在並木道を歩くことはできません。ポプラ並木の始まりの辺りから、ポプラをバックに撮影するなどして楽しんで下さい。 歴史的建造物は構内の中央道路沿いを歩いていると全て見えてきます。散策に疲れたらポプラ並木近くの中央道路沿いにある中央食堂に立ち寄るのも良いでしょう。クラーク像そばの北大交流プラザ「エルムの森」ではお土産の購入もできます。大学認定のハム・日本酒や菓子などを販売していて、面白いですよ。特に平成16年に倒壊したポプラを材料にした黒板消しストラップが話題性もあって人気のようです。
北海道旅行を計画して、パンフレットを見ると必ずと言っていいほど目にするクラーク博士の全身像があります。右手を挙げたポーズが印象的で、まだ旅行に行ったことはないけれど、この像だけは知っているという方も多いはずです。クラーク博士は知名度も高く、この像を見ようと多くの観光客が訪れます。
また、この像の前で記念撮影をすると思わず右手を挙げたくなるという情報も入っています。クラーク博士と同じポーズをして記念撮影をする人は多いようです。未来の方向へ手を伸ばし、遠くを見据えたら、今の自分は何をすべきなのかがおのずとわかってくるような気がします。
クラーク博士の全身像は、北海道札幌市豊平区羊ケ丘1番地の羊ケ丘展望台にあります。 展望台へのアクセスは地下鉄福住駅から北海道中央バス羊ケ丘展望台行きに12分ほど乗り、終点で下車をすると辿り着くことができます。また車を使う場合は道央道北広島ICから国道5号経由で15分ほど走らせると着きます。駐車場もありますので、ドライブの休憩に使って立ち寄るのも良いと思います。
大人一人500円の入場料がかかり、営業時間は時間 9~17時です。ただし、休みは不定休で、営業時間も季節によって異なるので、訪れる際には事前の問い合せが必要になります。連絡先はTEL 011-851-3080 (羊ケ丘展望台管理事務所)です。
この展望台からは、絶景を楽しむことができます。クラーク博士はこの地に赴任して何を感じて何を思ったのか、そんなことを考えながら眺めると、いつもの北海道もまた違った表情を見せてくれます。
羊ヶ丘展望台に全身像が建立される以前は大学構内にある胸像が有名で、多くの観光客がそちらに訪れておりました。そしてしだいに観光客が観光バスで訪れることが多くなり、大学の研究活動に支障が出るとして観光バスの入場が禁止されるようになりました。
しかし札幌観光協会では北海道の開拓のシンボル的存在であるクラーク博士像をより広く全国の人に見てもらうことにより、開拓者精神を後世にも伝えていきたいと考えました。そこでクラーク博士の来道100年、アメリカ合衆国建国200年にあわせて、羊ヶ丘展望台にあの全身像を建立したのです。
像を作ったのは彫刻家の坂坦道氏です。右手を挙げる独特のポーズは「遙か彼方にある永遠の真理を指し、そこに向かい大志を抱け」との思いが込められているそうです。確かにちょっと、伝わってきます。
帰国後はマサチューセッツ農科大学の学長を辞めました。そして洋上大学の開学を企画しましたがそれには失敗します。その後は、知人と共に鉱山会社を設立し、当初は大きな利益を上げました。ですがその会社も後に破産してしまいます。その後は破産をめぐる裁判で訴えられ、クラーク博士は悩まされました。更に心臓病が発生して寝たり起きたりの生活を繰り返し、厳しい生活を送っていました。そして1886年3月9日、最期は心臓病が原因で息を引き取ることになりました。享年59歳でした。現在、彼はアマースト町ダウンタウン内にあるウエスト・セメタリーに葬らえています。ちなみにクラーク博士は既婚者で、妻ハリエット・ウィリストンとの間には11人もの子どもが生まれました。しかしそのうち3人は生後1年以内に死亡しており、クラーク博士の人生は仕事の面だけでなく、プライベートでも波乱万丈だったと言えます。 そんなクラーク博士、日本で知られるのは札幌農学校時代の顔がメインです。偉大な先生として、今も地元だけではなく、日本中の人々の心に残っています。彼の残した言葉や思想は、後世にも引き継ぐべきメッセージとなって、今も生き続けています。
札幌農学校で初代教頭を務めたクラーク博士が学校を去る時、あの歴史的な名言が生まれました。「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」、札幌農学校1期生との別れの際に、クラーク博士が贈った言葉がこれです。実はこの言葉、他にも「Boys, be ambitious like this old man(この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ)」だったとする説もあります。前者の方が端的で覚えやすいからでしょうか、一般的に広まっているのはそちらの方ですが、どちらを取っても素敵な言葉ですよね。しかし、この文言はクラークの離日後しばらくは記録したものがなく、後世の創作によるものだと考えられた時代もありました。1期生の大島正健による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることを取って、これを逆翻訳したものだと言われることもありました。しかし、その大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録していました。そして安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラーク博士の言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明しました。安東によれば、全文は「Boys, be ambitious like thisold man」の方だとされています。ちなみに『恵林』には、おそらく「n」は「u」の誤植・倒置と考えられますが、「Boys, be ambitions likethis old man」と印刷されています。安東の発表の後、大島自身も内村鑑三編集の雑誌『 Japan ChristianIntelligencer, Vol.1, No.2 』で博士について記述し、全く同じ文章を使ったことが判明しました。ここまでくると、やはりこれは後世の創作ではなくクラーク博士のオリジナルだったと考えられますね。確かに創作と思われてしまうほど、深くて、別れには十分すぎる台詞だなと、思います。でもそれをパッと言えてしまうのが、青年達も強く憧れたクラーク博士なのだと思います。また大島は去り行くクラーク博士の姿を、「先生をかこんで別れがたなの物語にふけっている教え子たち一人一人その顔をのぞき込んで、「どうか一枚の葉書でよいから時折消息を頼む。常に祈ることを忘れないように。では愈御別れじゃ、元気に暮らせよ。」といわれて生徒と一人々々握手をかわすなりヒラリと馬背に跨り、”Boys, be ambitious!”
クラーク博士の専攻は園芸学、植物学、鉱物学でした。マサチューセッツ農科大学の学長の任期中に、クラーク博士は日本政府からの熱烈な要請を受けて、1876年7月札幌農学校教頭に赴任しました。当時博士は50歳でした。
クラーク博士を紹介したのは、当時アマースト大学に初の日本人学生生として在学していた新島襄でした。
クラーク博士は、マサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用して訪日するという形をとりました。教頭として赴任したクラーク博士の上には、名目上は校長がいました。しかし開拓使の許可によりクラーク博士の職名は英語で 「President」 と表記されていました。実質的には校内の全てを取り仕切っていたのはクラーク博士だったのです。
クラーク博士が初代教頭を勤めた札幌農学校は現在、北海道大学となっています。当時はお雇い外国人の一人として赴任したのですが、その影響力は大きく現在にもその功績は残っています。開講したばかりの学校の礎を築いたのは、他でもない、クラーク博士だったのです。
クラーク博士は学校で、専門の植物学はもちろんのこと、その他の自然科学一般を教えました。その際に用いた言葉は英語だったそうです。新しいことを学ぶだけでも、頭を使うのに、それが更に英語となると大変ですよね。今でこそ大学ではそういう方式の講義も珍しくなくなっていますが、当時にしてはとても刺激的だったのだと思います。
しかし、その研究について進んでいる国の言葉で学ぶことは学問においての近道になるのは確かです。学問書を読むにしても、意を決して原文にあたってみるとかなり参考になることがほとんどです。
更にクラーク博士はキリストの教えについても説きました。学生達に聖書を配り、熱心に布教をしたそうです。それを受けて学生達は「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教を信仰するようになりました。
クラーク博士は8ヶ月間札幌に滞在し、翌年の1877年5月に離日しました。この僅かな期間のうちに、クラーク博士は青年達の心を掴み、離さない存在となったのです。そしてフロンテイア精神を植えつけ、偉大なる業績と感化を遺したのでした。
かの有名な「Boys, be ambitious」の言葉で知られるウィリアム・スミス・クラークは、札幌農学校で偉大な業績を残し、今でも北海道を初めとし、「クラーク博士」の呼び名で日本中から親しまれています。
確かに私も、歴史や英語を習う以前から、というか物心付いた頃には「Boys, be ambitious」という言葉を何度も耳にして、記憶していました。子供心に「ぼーいずびーあんびしゃす」は「少年よたいしをいだけ」だということはわかっていました。ただ、「たいし」が「大志」だということを知る方が後だったので、本当の意味で言葉を理解するのはもっと後のことでしたが……。
ではそのクラーク博士の「Boys, be ambitious」はどのように生まれたのでしょうか。まずはクラーク博士の生い立ちから追って生きたいと思います。
ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)は、1826年7月31日にアメリカのマサチューセッツ州アッシュフィールドで生まれました。父アサートン・クラークは医師でした。
アマースト大学を卒業し、ドイツのゲッティンゲン大学にて博士号を取得した後、アマースト大学の教授となりました。
南北戦争時には北軍少佐として従軍し、マサチューセッツ農科大学(現マサチューセッツ大学アマースト校)第3代学長に就任しました。ちなみに初代学長と2代学長は開学前に辞任しています。それにより実質的な初代学長はクラークだったと言えます。
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