Boys, be ambitious

札幌農学校で初代教頭を務めたクラーク博士が学校を去る時、あの歴史的な名言が生まれました。「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」、札幌農学校1期生との別れの際に、クラーク博士が贈った言葉がこれです。

実はこの言葉、他にも「Boys, be ambitious like this old man(この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ)」だったとする説もあります。前者の方が端的で覚えやすいからでしょうか、一般的に広まっているのはそちらの方ですが、どちらを取っても素敵な言葉ですよね。

しかし、この文言はクラークの離日後しばらくは記録したものがなく、後世の創作によるものだと考えられた時代もありました。1期生の大島正健による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることを取って、これを逆翻訳したものだと言われることもありました。

しかし、その大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録していました。そして安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラーク博士の言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明しました。

安東によれば、全文は「Boys, be ambitious like thisold man」の方だとされています。ちなみに『恵林』には、おそらく「n」は「u」の誤植・倒置と考えられますが、「Boys, be ambitions likethis old man」と印刷されています。

安東の発表の後、大島自身も内村鑑三編集の雑誌『 Japan ChristianIntelligencer, Vol.1, No.2 』で博士について記述し、全く同じ文章を使ったことが判明しました。

ここまでくると、やはりこれは後世の創作ではなくクラーク博士のオリジナルだったと考えられますね。確かに創作と思われてしまうほど、深くて、別れには十分すぎる台詞だなと、思います。でもそれをパッと言えてしまうのが、青年達も強く憧れたクラーク博士なのだと思います。

また大島は去り行くクラーク博士の姿を、「先生をかこんで別れがたなの物語にふけっている教え子たち一人一人その顔をのぞき込んで、「どうか一枚の葉書でよいから時折消息を頼む。常に祈ることを忘れないように。では愈御別れじゃ、元気に暮らせよ。」といわれて生徒と一人々々握手をかわすなりヒラリと馬背に跨り、”Boys, be ambitious!” と叫ぶなり、長鞭を馬腹にあて、雪泥を蹴って疎林のかなたへ姿をかき消された。(『クラーク先生とその弟子たち』)」と語っています。

こちらですと、短い方も使われていますね。更にこの時に「Boys, be ambitious in Christ (God)」と言ったとする説もあります。また、「青年よ、金、利己、はかなき名声を求むるの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け」と述べたという説もあります。

そもそも「Boys, be ambitious」はクラークの創作ではなく、彼の出身地のニューイングランド地方で当時よく使われた別れの挨拶だったという説もあります。これだとすると、その意味は「元気でな」くらいだそうです。う~ん、これは少し寂しいかもしれませんね。これまでのクラーク博士のことを考えれば、やはり「少年よ大志を抱け」と言っていて欲しいところではあります。

「Boys, be ambitious」、それを去り際に言うなんて相当キザなはずなのに、それが絵になっていたんでしょう。それもまた米国紳士だからこそ、というところがありますよね。日本人が言うより絶対にかっこいいし、若い学生が聞いたら憧れてしまうんだろうなと思います。私もその場にいたら、自分も沢山学んでああいう立派な紳士になりたいと願ったはずです。

クラーク博士が学生達に残したものは、目に見えないけれど生きていく上で大切なものばかりでした。実際に学問に関する知識を教えたということももちろんありますが、それ以上に彼が伝えていったのは、学ぶ姿勢だったり、教える者のあり方だったり、正しい考え方だったり、人としての生き様だったり、と根本的な部分でした。

 キリストの教えもそうですが、彼自身の生き様が学生のお手本となったのです。きっと学生の多くがキリスト教を信仰するようになったのは、他でもない彼の勧めだったからだと私は思います。

 クラーク博士が離日した後、札幌農学校に二期生として入学した内村鑑三は、学生時代はクラーク博士を第一級の学者であると思っていたが、米国に渡ってみるとある学者に「クラークが植物学で口を利くなど不思議だ」と笑われたと話しています。

しかしそれでも彼はクラーク博士を、青年に植物学を教え、興味を持たせる力があったとして、「植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました」と高く評価しています。個人の世界で自らの知識を高めていく学者と、相手のある世界で他者にものを教える教師は、似て非なるものだということです。

クラーク博士の説いた学問の内容もさることながら、その教え方、そしてそれを学ぶ方法を教えたということが評価されたのです。