お雇い外国人

クラーク博士はどんな人?何をした人?という問いに答える際、キーワードの一つとなっているのが「お雇い外国人」です。
「お雇い外国人」とは、幕末~明治時代の近代化に向けた時代の中で、欧米の先進技術や学問等を取り入れるために雇われた主に欧米人のことを言います。政府の新産業育成のための政策を指す殖産興業を目的として多くの外国人が来日しました。クラーク博士は「お雇い外国人」の中でも代名詞的な存在です。
明治政府が雇用した外国人の約半数は、イギリス人でした。鉄道技術者で日本の鉄道の導入を指導したとされるあったエドモンド・モレルや、建築家で政府関連の建物の設計を手掛けたジョサイア・コンドルなどが挙げられます。
また、アメリカ人は教育と開拓の分野で多く活動し、フランス人は同じく約半数が軍への雇用だったようです。
雇用された人数がピークに達したのが1874年~1875年(明治7~8年)で、520人ほどでした。その後数は減りましたが、明治年間を通して3000人前後であろうと言われています。
ちなみに、その報酬は大変高額なものだったことが知られており、当時はまだ身分格差が著しい国内賃金水準からみても破格の値段だったそうです。
 
ここでは、クラーク博士以外の「お雇い外国人」とされる日本の産業の発展に貢献した外国人3人についてご紹介したいと思います。
【エドワード・シルベスター・モース】
アメリカの動物学者で、海洋生物研究のため、東京大学教授として来日しました。ダーウィンの進化論を紹介し、大森貝塚の発見・発掘を行い、日本の考古学・人類学のその後に大きな貢献をしました。また、日本研究家としても知られ、日本美術なども深く研究していたとされます。
【エルヴィン・フォン・ベルツ】
ドイツの医師で、東京医学校の教室して来日しました。つつが虫病などの寄生虫、脚気など広範囲に及ぶ研究を行い、日本の医学界の発展に尽くしました。27年間医学を教え日本滞在は29年にも及びました。日本人女性と結婚し、訪れた草津温泉についての研究にも力を注ぎました。草津温泉が名湯であることが世界的に知られるきっかけを作ったとされています。
【ギュスターヴ・エミール・ボアソナード】
フランスの法学者で、刑法・治罪法・民法を草案しました。当時の日本にとって急務の課題である「不平等条約の撤廃」のため、日本国内の法整備に尽力し大きな貢献を果たしました。「日本近代法の父」と呼ばれています。