札幌農学校に赴任したウィリアム・スミス・クラーク博士が帰国すると、その後任に就いたのが、ウィリアム・P・ブルックスでした。
ブルックスは北海道に西洋野菜を持ち込み、栽培方法を学生や近郊農家の人々に指導しました。
タマネギをはじめ、ジャガイモ、トウモロコシ、キャベツ、トマト、ニンジン、エンダイブ、コールラビ、セイヨウタンポポなどを日本にもたらしたのはブルックスなのです。
ブルックスは1851年11月19日、アメリカ、マサチューセッツ州にあるサウス・シチュエットの農家に生まれました。1871年にマサチューセッツ農科大学(現在のマサチューセッツ大学アマースト校)に入学します。在学中はクラークのもとで植物生理学の実験を行いました。1875年に農科大学を卒業すると大学院に進んで化学と植物学を専攻しました。
1877年日本政府よりを招聘受けて来日します。札幌農学校の農学教師・校園監督としてクラークの仕事を引き継ぐこととなりました。農学講義、農学実習、植物学などを担当します。学生には「ブル先生」の愛称で親しまれていたそうです。
赴任中、一時帰国した際に結婚すると夫人と共に札幌で暮らし、その間に娘と息子が生まれています。1888年10月、家族とともにアメリカへ帰国するまでブルックスは札幌農学校に12年間勤務しました。離任時に日本政府より勲四等旭日小綬章を授与されています。帰国後、母校マサチューセッツ農科大学の農学教授に就任し、マサチューセッツ州農業試験場技師もつとめました。1896年にはドイツへ留学し、ハレ大学で博士号を取得しています。帰国後は農業試験場の所長に就任。その後1921年まで同試験場の顧問を務めました。リタイア後は家庭菜園を楽しんだようです。北海道旅行で広大な畑を見る機会があったら、ブルックスのことを思い出してください。