北海道大学で功績を残したクラーク博士ですが、教鞭を取っていたのはわずか9ヶ月でした。短い赴任期間でしたが、農学を教えるだけでなく生徒にキリスト信仰を広めるなどその影響力は大きなものでした。
クラーク博士は勉学に対してもアグレッシブだったようで、次のような破天荒なエピソードが残されています。
1877年(明治10年)の1月末、クラーク博士は学生16人を連れて厳寒の札幌手稲山に登りました。学生達はまだ17、8歳。51歳のクラーク博士は南北戦争に従軍したこともある文武両道の人だったためか、雪山に戸惑う学生達の先頭に立って進んだそうです。
途中、雪に覆われた大木を発見するとその前で止まり、博士は背の高い生徒に、自分の肩に乗って先端のコケを採取するよう命じます。当時は教師への尊敬の念が強かった時代。「三尺下がって師の影を踏まず」という言葉があったほど、教師は敬われていました。
学生は当然躊躇しましたが、クラーク博士は「この大木は夏には登れないが、冬の今ならてっぺんにまで届く。あの梢に珍種のコケがついているのが見えるだろう。今がそれを採集できる絶好の時なのだ。」と説得し、長靴を履いたままの学生を肩に上がらせたそうです。
採取後、下山時には天候が悪化し、一行は山中で立ち往生します。学生達は冬山はおろか登山自体が初めての者ばかり。クラーク博士は最後尾で彼らを励ましながら無事に下山を果たしました。現代なら親や社会から批難が集中しそうな無謀な登山でしたが、博士は心身の鍛錬を信念に、この自然観察授業を行ったのです。
後にわかったことですが、その日採集した中には新発見のコケも含まれていたそうです。
「新しい発見をするためには新しいチャレンジに挑まなければならない」「危険も緊張もあるから鍛錬される。心も燃える。」そう信念を持ち、クラーク博士は自ら危険の先頭に立ち日々実践されました。その勇敢な姿勢と学問への飽くなき探究心が、学生に多くの刺激と感動を与え、博士が慕われた所以なのでしょう。